社長就任して、即座にVision、方向性を打ち出すだけの能力もなかったので、はじめは、少しでも自分という人間を知ってもらいたい、またどんな仕事観、会社観をもっているのかを理解してもらうため、毎日現場に足を運んだ。以下その内容です。
□販売のリコーについての私の考え
リコーは右肩上がりの成長路線に乗って、人海戦術、ドアtoドアのドブ板営業を武器に脚力、迫力、精神力の旗のもとに、業界では野武士営業集団と恐れられていた。
しかし、この様な量を最優先した営業スタイルは限界に達していた。
もともと、一家言ある私は常々、精神論、ノルマ重視、行き当りバッタリ的な成行き営業には疑問を持っていた。21世紀を目前にして、IT業界は大きく変化しつつある。
私達もこの流れを予測して、一致団結して、提案型営業にギアーチェンジしようと訴えた。
□これまでの営業概念を変えた「販売の科学」という本との出会い
売れない毎日が続く中で、ふと、目にした本屋での唐津一氏の「本」に出会った。
ただ、漠然と市場調査し、販売件数を主体とした販売では物は売れない。
むしろ、ライバル社と差がつくばかり。これからは、販売する中で巧みにデータ情報をとり、それを次の活動に活かしていくのが、科学的販売法というもの。
もう一発勝負の販売方法には限界がある。まさにこの本は目からウロコだった。
販売に科学があるんだ!今まで抱いてきた営業論に新しい風、光を貰ったような気分になった。
□商売の真髄を教えてくれた大阪転勤
東京生まれ、東京育ちの私が43歳のとき、突然大阪勤務の命を受けた。
晴天の霹靂だった。はじめは、カルチャーショックでなじめず、苦労した。
しかし、大阪は東京のよそいき、他人行儀の社会と違って、何か私は引き寄せられ、特に“ハッキリ物を言う”文化に魅せられた。水が合ったようだ!!
ある時、大阪商人のお客様から私の商売に関するヒントを頂いた。
「相澤さん、あんたは、私の会社に頻繁に顔を出すけど、何をしてくれるのかね?」
私は返答に困った。「実は大阪商人には、こういう言葉があるんだよ!!
『手を打てば魚寄りくる 鳥は飛つ 仲居応える 猿沢の池』
たかが、手を一回打っただけでも、池の魚は寄ってくる。鳥は驚いて逃げる。
旅館の仲居さんは呼ばれたのかと思い、「はい」と応える。即、商売の心は、売る側が“仕掛ける”ことなんだよ。」
それ以後、私はこの大阪商人の言葉を「営業とは働きかける技術、提案が商品」と定義した。私は大阪での5年間、大阪商人、近江商人の生き方、商売の仕方、大阪人の価値観、人間関係など、沢山の事を、学んだ。
サラリーマンにとって、転勤とは最高のインセンティブである。
□4地域での営業体験が私を鍛えてくれた。
東京、大阪、仙台、名古屋の4地域を渡り歩いた私にとっては「体験こそ我が師」である。私の営業人生の評価は「能力10%、努力20%、運30%、体験40%である」
営業という仕事は、一見、広く浅くの様だが、実は人間が相手である。
それだけに、見えにくい、わかりにくい、捉えにくいという一面があり、しかも奥が深い。そして、体験した貴重な財産は誰も真似できない、自分だけのものである。
さて、仙台で私にフィロソフィーというか哲学を授けてくれた漁師の話に移る。
この腕利きの漁師は、あるとき、酒を交わしながら「失点長(支店長)よ!!営業もそうだけれども、漁師はな!『漁に出なければ、漁はなしだよ。』どんな優秀な学校を出た人でも所詮、お客さんを訪問しなければ、成果なしだよね。」自分の胸にグサリときた。
その道を極めた人や達人には、体験からにじみ出た、湧き出た哲学があるんだ。
私はフィロソフィーとか哲学という言葉はなじみが薄いので、後に『理(ことわり)』と名付けた。理とは、体験から湧き出た理論、軸の考え、法則、原理原則等を総称したもので、後々までも考えるモノサシ、行動するモノサシとして通用するもの。
この漁師から学んだ「理」の発見が、私の営業人生の道筋となった。それは、今まではガイドのいない無謀な山登りのようだったが、理は私の営業人生のガイドになってくれた。
営業という仕事は、人、物、金、情報、インフラ等のあらゆる事象の究極を追求する仕事だ。死ぬまで学ぶ価値ある仕事だ。
特に営業はテーマ性の追求と作品づくりである。
変化があり、面白く、終わりがない。
まさに、 営業=天職=人生である。
※今回で相澤ブログは一旦終了となります。
何か私の体験から皆さんのお役に立てればとやってまいりました。
また新しく始める際には皆様にお知らせできればとおもっております。
4年間ありがとうございました。
相澤様之