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  • 2014.08.26 Tuesday

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経営改革シリーズ 「全社一丸、顧客基点の経営改革」

□今、何故標題のテーマなのか


私が社長就任したバブル崩壊後の時代に比べて、今世の中、市場環境、経営環境は一変している。今更昔とったキネヅカが通用するとは思っていない。

しかし、仲間から君はそう若くない。既に老境の城に達している。自分のビジネス人生を振り返り、集大成のつもりで、かつての経営改革の実践について発信せよと強要された。

単にあれもやった、これもやったではなく、経営改革の本質、考え方、変化への対応について発信することは、後輩に対し必ず参考になるからと諭され発信することにしました。



□就任した東京リコーの会社概要


失われた10年といわれたバブル崩壊後の1999年、21世紀に突入するその直前東京リコー社長の命を受けた。キャリア的には東京、大阪、名古屋、仙台の4地域で営業第一線を体験しているので、問題はないと思っていたが、今まで靴の上から手でかいているような現場と距離のある支店長の仕事経験はあるが、本社からの出城で、なおかつリコーグループの販売会社の中ではNo.1の規模の東京リコーの現場指導官に起用され、いささか緊張感でいっぱいだった。

それは東京のマーケットは他社・同業がしのぎを削る過密競争の地域だからだ。

さて、東京リコーの概要だが、資本金4億1800万円、売上1100億、社員数3000人弱の大会社であった。しかし、8年前に、専務を担当したためか、何か強い親近感を覚えていた。せめて、それが私の心の支え、救いでもあった。



□社長就任時、リコー4代目社長、浜田広のトップデザイヤーは


販売のリコーの立役者、浜田広がわざわざ激励の為、私のオフィスを訪ねてくれた。

いきなり私の部屋の目の前に広がる汐留の巨大なオフィス街を指差して、
「あのオフィスには、我が社の製品が何台くらい入っているのかね」と質問された。

多分、それは松下電工のオフィスビルだったと記憶している。「東京のマーケットは無限大だね」とハッパともとれるような言葉を頂いた。
「君に是非頼みたいのは、この巨大市場を席巻し、東京から日本の販売リコーを変えてもらいたい。」とつけ加えた。また、「3000人の社員の後ろには、その何倍もの家族が存在するのだ。その人たちのためにもしっかりと経営してくれ。」と。

何か浜田社長の熱い想いが伝わってきた。

私も転んでもただで起きない性格上、社長にあるお願いをした。

それは、浜田社長が、標榜する「お役立論」を色紙に書いてもらう事だった。

快く引き受けてくれたが、社長から「私が上から目線で、どんなにお役立ち論を唱えても、大切な事は、お客様接点で仕事をしている販売会社の第一線の営業マンがお役立の思想を実践してくれることだ!! その指揮官は君だからね」と釘をさされた。

しばらくして「お役立の心と行動」の色紙が私の手元に届いた。秘書に聞いたところ、社長はこの色紙を書くために、1ヶ月くらい自宅で習字の練習をしたそうだ!

その心意気にますます、意を強くして色紙の言葉に恥じない東京リコーの経営改革に着手しようと心に誓った。



 

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  • 2014.08.26 Tuesday


講師のご紹介 【向塾】

大和 可也
(やまと かや)

1944年生まれ。高知県出身。
早稲田大学文学部卒。
教育プロデューサー。

大学卒業後1969年〜1987年 (株)学習研究社勤務。 独立後、メディアプロデューサーとして活躍。
その後、大学講座演出、プロデュースを手掛ける。

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相澤 将之
(あいざわ まさゆき)

1942年生まれ。東京都出身。
法政大学経営学部卒。
元東京リコー社長。

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石桁 正士
(いしけた ただし)

1936年生まれ。和歌山県出身。
和歌山大学学芸学部(現教育学部)卒業。(教育学士)
大阪市立大学大学院工学研究科修了。(工学博士)

京都大学、大阪大学を経て1970年に大阪電気通信大学助教授に就任。その後教授を経て2007年名誉教授となる。
やる気研究会の主宰や情報教育学研究会(IEC)の発起人として活躍し、現在大阪電気通信大学の客員研究員として教育の研究に従事。

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